YAPC::Asia Tokyo がなかったら今の僕はないと言っても良いくらい楽しんで参加し続けました
#yapcasia みなさま長い時間大変おつかれさまでした!!!事故のないよう気をつけて帰ってそして家に着いたらブログ書いてください!!!よろしくお願いします!!!
— monmon (@lesamoureuses) 2015, 8月 22
ということでブログ書いて一旦区切りを付けようと思います。
思い返すと2009年に初めてYAPCを知り一般参加者として参加、2010年からボランティアスタッフ、2013年からはコアスタッフ、今年はまたボランティアスタッフ、ということで僕の YAPC::Asia Tokyo はほぼ全てスタッフでの参加となりました。
今回の参加のきっかけ
(内容見えないように荒い画像になってますがKPTの様子)
2014年9月終わりに2014年コアスタッフ + 次回あるならやりたいとを手を挙げていたメンバーでKPTのために集まり、そこで yusukebe さんは次回できない、もしやるなら若人たちの誰かが引き継ぐか、いつかわからないけどJPAの体力があるうちに最後のYAPCの花火を大きく上げる、という話が牧さんからありました。
(このタイミングでは牧さんは2015年開催難しいと考えていて「若人たちがうまくとりまとめられないようなら2016年にデカい花火あげるとして、2015年は温泉とか付いてる楽しいミニYAPCでもやろうぜー」みたいな話も出てました。)
結局いろいろたくさんなんやかんやあって2015年に最後の花火を上げることが正式に決まり「最後の花火だからまたコアスタッフやらない?」と打診があって参加決定。
参加後の動き
なのですが、その後すぐに会社を辞めることになってしまったためコアスタッフ難しそうだと牧さんに連絡。
ただ、そのままコアスタッフの Slack には残っててって話になったので「重要なやりとりは見えないけど Slack の #general に流れる情報と #random の雑談は見える」みたいなポジションになってました。
やることはネタ出しの時に一緒に話をしたり雑談をしたり、コンテキストがわかる場合にはツッコミを入れたり。
コアスタッフじゃなくなってるので #general ではなるべく発言しないようにしていたけれどそれでも「お前コアスタッフじゃないのにいつまで口出すんだよ」って誰かに言われないかビクビクしながら発言してました。
時間が前後するけど、9月頭には Slack が既にあって、次回必要そうな情報は9月頭からどんどん post されてました。
例えば2,000人規模で開催できそうな施設をみんなで出しまくったものの予算と条件に合うものがなかなか見つからず、「小さい部屋をどううまくつなぐか、っていう方向に切り替えますか」という話が出ていたり。
(ビッグサイトに8月の空きができたので下見に行った時のもの。この時はまだ8/19-21の平日3日開催仮押さえだった)
前夜祭の動き
「来られる人は11時から集合して準備手伝ってください」という感じだったのですが、思った以上に多くのスタッフが集合していて「平日なのにこんなに集まるなんて!」っていう驚きとともにスタート。
ということで写真でザックリ。
(スタッフが多かったので準備がグングン進んでいる様子。おかげで予定より2時間前にノベルティ詰めが終わった。すごい)
(今年も2秒でTシャツをたたむ技術でガンガン畳んでいった。去年導入した甲斐あった)
(出荷される前の AP たち。かわいい)
( nagayama さんがつまみで色々作ってくれていた。さすが)
(前夜祭なのに予想以上の入り。裏では「こんなに来ると思わなかったぞ!」みたいな話をしてました。ワイワイ)
当日の動き
トラックDのリーダーとして仕事が割り振られてましたが、縦割構造だと横の情報伝わりにくくなるのを経験していたので Slack でいろんな所に顔出すようにしてました。
(牧さんが受付ら辺で Twitter と Slack の様子見て俯瞰してるし、 uzulla さんがあちこち回って全体の様子見てるし、という感じだったのでそこから落ちたボールを拾う感じ)
( Slack の channel はこんな感じ。ログの流れが早くなりそうだったのでリーダーだけ知っておけば良さそうな話用に #leaders channel を当日追加した)
ちなみに少し話を横道にずらして Slack 含めた情報伝達ツールの話。
Slack は書き込みがなくても Add a reaction すれば「あ、誰かしら対応する」ってなって便利だし、「今回のツールは Slack で正しかっただろうな」と思っているんだけど、それでも何かが重なると一気にログが流れてしまうので「これは全員に気づいてほしい重要なこと」みたいなのがやっぱり伝わりづらかったりする。
すごくちっちゃい話をすると、「落し物」って絶対になくせないものだったりするんだけど、これを上手く処理できたって感じがしない。なので、何かしら「チャットツール」+「流れない情報だけどチャットツールに上手く繋がる」みたいなのがもっと開発できるんだろうなと思う。
(去年は Facebook のグループに post したりしていたけど、メッセンジャーと上手く繋がっていないからもっと何かできるはず)
閑話休題。
ということで、ガシガシいろんな所に突っ込んでいったり指示したりしていたんですが、細かく知らない情報も結構あって「あー、もっとコアスタッフとの情報共有はしておくべきだった」と反省しました。
「こういうことをやる」ということは知っているんだけど「それ細かいところ僕らはどう動けばいいんだっけ?」みたいなのを把握できていないことがいくつかあった。担当が誰かわからなかったり。
それでもいろんな所に口出して上手く回ったことの方が多いと思うので、差し引きプラスと思い込んで今後何か活動するときにも繋げていこうと思う。
まとめ
2009年に YAPC に参加していなかったら最初の転職もしていなかっただろうし、ということは今4人の会社で仕事している自分もいなかったわけで、本当にあのとき参加してよかったなと思う。
そしてフルコミットできなかったものの最後の YAPC::Asia Tokyo にも参加できて良かった。楽しかったぞ!
(「仕事辞めるのでコアスタッフできないです!すみませんすみません!><」って話を牧さんにDMしたら「俺も実は辞めます」みたいなのが帰ってきてそこから仕事と家族みたいな話ができたのも良い思い出)
今回は1日につき60人くらいのスタッフがいてくれたにも関わらずそれでも足りないくらいの忙しさがあったなと感じたし、スタッフ含めて不満もあったと思うのだけど、そういうのが次回の何かに繋がって世界がどんどん良い方向に回っていくようにしたい!
(スタッフのみんなへの感謝は打ち上げの時に伝えます!)
はー、この時間でもまだ飲んでる人はたくさん居るし、そこでいろんな技術話がたくさんされているだろうし、 #yapcasia が滞りなく終了して本当に良かった。ありがとうございました!!!
— monmon (@lesamoureuses) 2015, 8月 22